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乾徳寺 (名古屋市中区) : ウィキペディア日本語版 | 乾徳寺 (名古屋市中区)[けんとくじ]
乾徳寺(けんとくじ)は愛知県名古屋市中区にある曹洞宗の寺院。山号は雲龍山(うんりゅうざん)〔名古屋市史 社寺編、pp596 - 597〕。本尊は木造阿弥陀如来坐像〔名古屋の史跡と文化財、P.58〕。 == 歴史 == 万治2年(1659年)、犬山藩2代藩主の成瀬正虎が分家の成瀬之成(栗原藩2代藩主)の菩提を弔うために名古屋の東寺町にあった日蓮宗の総墓所に一宇を建立し、自らの甥で含笑寺4世・太巌秀徹の弟子であった北岩秀南を住まわせたのが始まりとされ〔、このため秀南斎と号して、含笑寺の末寺となった〔。また、こうした経緯から成瀬家の家臣たちが揃って檀家になったという〔。他に永禄5年(1562年)創建とする説もあるが、詳細は不明。 延宝4年(1676年)6月、北岫祖嶽が当時愛知郡山口村(後に幡山村を経て瀬戸市)にあった「乾徳寺」(雲興寺末寺)を引き継いで寺号を改め、別岫祖傳を勧請開山とした〔。本尊の木造阿弥陀如来坐像は定朝の作と伝わり、延宝8年(1680年)に伊藤次郎左衛門によって寄進されたという〔。その頃までの隆盛ぶりは含笑寺と競う程であったが、天和3年(1683年)に梅嶺春芳が退いた後は次第に寺勢が衰え、元禄年間に洞雲祖碓によって中興〔。6世・圓山通門、9世・瑞鳳角琳は總持寺輪番を務め、10世・本光瑞如は堂宇の再建を果たした〔。
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